これだけだらだら行きながらもなんとか2段階みきわめまできた。
ネットゲームはやめた。某戦国MMOなのだが、
本当はできないお金MAXをシステムの穴を利用して増やしまくった。
これとは別に合計20万円ほどの小遣いもこのゲームのプレイヤーから手に入れた。
さすがに稼ぎすぎると後でトラブルになったとき、大変なので
なるべく浅い傷をつける程度で引くことにした。
それでも20万は働いていない身としては十分である。
以前4ヶ月ほど生協でバイトをしていたが1ヶ月そこらで稼いだのだから世の中わからない。
しかし、それではまともに生きていけるわけもなく、当然お小遣い扱いになるわけだ。
さて、現在教習所通いとなっている私だが、次は何をしよう。
なにぶん一つの事に精一杯になりやすいので(言うなれば中途半端な性格なのだ)
少しずつだが改善していかなければならない。この改善という言葉は
欧米でも日本語のままで使われているそうだ。
なんでも、改善に当たる言葉がないらしい。
日本は欧米の文化によって自らの文化を国際的に変容させていったが、
それと同時に日本人という型もアジア人というよりは国際人としての見方が
強くなっている。(それでも、日本人と中国人の区別がつきにくい人は多い)
石原慎太郎曰く、がちがちな教育の仕方が落ち着いて浸透してしまっている
現在で新たに、就職意欲のわかない人間、学力低下による学歴上下間の差など
様々なそして、なかなか解決の糸口を掴みにくい「平和ゆえの問題」がおきてきている。
その中で、働かなきゃいけないんだという脅迫感は親を未だ持つ私としては
あまり感じない。実際、人間の共存が目的でなく、一人一人の生き方が尊重されるならば
自殺などもその人達の自由であり、そこから生まれる後悔もその生き方に含まれる。
なぜそれを止めるのかは、周囲に影響を受けて生きている一般人なら当然そうするべき
だという考えを持つだろうが(持たないのがおかしい)、いまのひきこもり問題などのように
自分で考えるだけでは無理なのだという諦めをさせない限りは何をやっても無理だろう。
当人が考えなければ解決しない、そういう固定観念を捨て、また、だからといって
他人に全てを委ねるのではなく、むしろ踏み台にして行く姿勢が大事なのは確かだ。
甘えなどという概念ではなく、解決するにも他人任せでは何も進展しないまま、
年を重ねていき、段々その穴は深くなっていくのである。
人間誰しもが完璧にいきられるものではない。
例え、そう生きてきたと自負しても、若くして自分の会社がつぶれる、
不慮の事故を起こしてしまうことはありえるのだ。
だから、自分の立場を悲観せずに前向きでも後ろ向きでも進んでいけばいいと
私は自分に言い聞かせたい。